HONDA Benly CL50

「バッタみたい」と言われたフロント周り。
何がどうバッタみたいなのかは理解に
苦しむがちょっとマヌケに見えるこのバ
イクの"顔"もお気に入りだ。

ギアチェンジは4速ロータリー方式で
実に乗りやすい。何より、秋の陽光に
照らされたタンクが美しい(バカ)

7000回転で3.8psのエンジン。パワー
は弱いが、燃費の良さは折り紙付きだ。

シート、マフラーともノーマルのまま。
このスタイルが気に入っているので、
今は特にカスタムは考えていない。

急がば回れ、のスローな生活。

周囲から散々、「なんで今更?」と言われた
原付購入である。理由は単純、好きだからだ。

MSがbenlyを初めて見たのは、6年前の話だ。
友人の家へ遊びに行く為、阪急西院駅を降り
て歩いていると京都は壬生寺のそばにある、
その名も『京都ベンリィ販売』があった。
店頭をのぞき込むと修理品とおぼしき機体
がトコロ狭しと並び、歩道にまで溢れ出して
いた。ベタな店名に苦笑しつつも、MSは
benlyのデザインにヒトメボレしてしまたのだ。


そしてもうひとつ、理由がある。
benlyがホンダのバイクだからだ。

F1のホンダ、スポーツカーのホンダ、オートバイのホンダ。様々な
冠で語られるが、全てに共通することがある。それは自社製エン
ジンを搭載していることだ。ホンダの魂は常にエンジンと共にある。
そのコダワリは少し変わった企業体勢にも現れている。

ホンダの登記商号は株式会社ホンダではなく、本田技研工業株
式会社(以下、技研)である。だが技研は生産販売に特化した企
業であり、製品開発は別法人である本田技術研究所(以下、研究
所)が担っている。つまり我々が普段目にするホンダ製品−クルマ
やバイク−は研究所の開発で産声を上げ、技研によって世に送り
出されたモノである。

本田技術研究所は本田技研工業本社にあった技術設計部門
が1960年に独立した、世界でも珍しい企業である。

これは創業者である本田宗一郎氏の「利潤追求と量産効率
を徹底する生産販売部門と、技術革新を目指す設計部門は
資本そのものを別にすべき」と言う発想から生まれたもの
だ。研究所は技研が要求する商品の量産図面を提供し、技
研は対価として総売上の5%を研究所に支払う。

本田宗一郎氏の技術へのコダワリが生んだ企業と言えるだ
ろう。その体勢は今も変わることはない。

その技術へのコダワリが生んだのが、benlyにも搭載されて
いる4ストロークエンジンだ。戦後日本のバイクの出発点は
自転車の後輪に2ストロークの小型エンジンを取り付けた
「自転車オートバイ」であった。当時の日本メーカーには
4ストエンジンを載せる発想はなかった。2ストは構造が簡単
でパワーがあり、しかも廉価に製造できたからだ。

しかし「俺のつくったモノは余所のとは違う」と新しいモノ
への興味と挑戦心のカタマリが本田宗一郎氏である。宗一郎
氏の陣頭指揮の元、河島喜好氏が設計したエンジンは、低回
転域で出力が低く、壊れやすかった当時の2ストエンジンの欠
点を見事に乗り越えた。

このエンジンの開発によってホンダの世界への飛躍は始まる。

benlyは好調なエンジン音を響かせている。だがナラシ中の
我が愛機はせいぜい30km程度のスピードしかでない。
スクーターは一瞬でMSとbenlyを抜き去り、信号停止後の
スタートでは電動アシスト自転車にも負けてしまった(笑)

だが焦らず、急がず、あくまでマイペースで走るのがとても
楽しい。朝は少し早めに家を出て住宅街をゆっくり走って駅
へ向かう。休日はMSの家から20分も走れば、ご覧のような
のどかな田園風景が広がる。benlyでのんびりと走りながら、
テキトーな神社(京都には山ほどある)に参拝し、自販機で
ドリンクを買う。

そんなスローな生活は、スピードの出ないバイクだからこそ
楽しいのかもしれない。